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日本を飛びたち海外へ
皆さん、こんにちは。
Kiyosaサロンネイリストの福田です。
本日は、私が海外に住む事になった経緯についてお話いたします。
アメリカとの出会い
私には、いわゆる「田舎」がありません。
生まれも育ちも東京で、祖父母も都内に住んでいた為、学校の夏休みや年末年始に
「田舎のおじいちゃん、おばあちゃんのところに遊びに行くの!」と言う友達を羨ましく思っていました。
そのため、学校の長期休みには海外旅行に連れて行ってもらう事が多くありました。
私にとっては「田舎のおじいちゃん、おばあちゃんの家に遊びに行く」事の方がはるかに魅力的でしたが
今思うと贅沢な考えだなぁとも思います(笑い)。
小さい頃から海外旅行をしていた事が関係しているのかはわかりませんが
私にとっては海外に行く事自体は特別な事ではありませんでした。
言葉が違い、文化が違い、景色が違い、空気が違う、と言う事はとても興味深く
バックパッカーになったのもそれ故ですが、海外で生活し働く事自体は特別な事ではありませんでした。
アジア各国をバックパックで旅行し、アジアから出て別の地域に足を伸ばそうと思った時に
最初に行ったのがアメリカでした。。。
ちなみにこの時に一番行きたかったのはアフリカだったのですが、資金の問題で断念しました。
アメリカ自体に興味があったわけではなく、目的地の経由地として行ったのが最初でした。
目的も無く興味の無いアメリカに行くのももったいないと思い
旅行の「ついでに」ネイリストのライセンスを取ろうと思い、カリフォルニアに半年程度滞在する予定でした。
もちろん目的はライセンス取得後の旅行であり、アメリカ滞在は
「どうせアメリカ通過するなら何かしようかな」という、思いつきの「ついで」でした。
結果10年弱「ついで」の「旅行」は続き、振り返ると「10年住んでいた」と言う状態でした。
ほぼ予定通り半年ほどでネイルのライセンスは取得したのですが、その半年の間に友人が出来て、人脈が出来て・・・
少しずつ離れがたい、愛着のある場所に変わってしまい、そのまま住み着いてしまいました。
ライセンス取得の為に学校に行っていた頃に、声を掛けて下さったネイルサロンがあり
「経験して損する事は無いなぁ」と軽い気持ちで働き始め、別のサロンに引き抜かれ
あるメーカーさんに声を掛けられ、また別のサロンに移り。
いつの間にかアメリカのネイルサロンで日本人ネイリストとして働く事が日常となっていました。
旅行する為にアメリカに立ち寄っただけ、という事も忘れるほどに「普通」の日常生活を送っていました。
アメリカは滞在する為のビザの基準が非常に厳しくネイリストが技術を武器にビザの取得をする事はほぼ不可能です。
最終的に働いていたサロンで、その「取得不可能」と言われていたビザのサポートをしたいとお声掛けを頂き
永住ビザの取得手続きを始めました。
ビザの取得には本当にいくつもの壁が立ちはだかり、厳しい道のりになる事はわかっていましたが
アメリカを離れる事が全く想像できなくなっていた私は、何が何でもビザを取得しようと思い
毎日身を粉にして働いていました。
いつの間にかビザの取得自体が目的になり、ネイリストとして働く意味も理由も夢も見失い
ただ毎日をやり過ごすようになっていました。。。
お客様のネイルを担当している瞬間だけが楽しく、その瞬間だけを励みにして毎日を過ごしていました。
精神的にも肉体的にも極限に近づいていた頃、アメリカの大統領が代わり
移民法が改定され、徹底的に移民排除をするようにアメリカが変わって行きました。
通常でも何年も掛かる永住ビザの申請手続きの先が見えなくなりました。
外国人を排除したい大統領が手続き中のビザ申請を許可する未来はほぼ絶望的となり
疲れ切った私は退職し、日本に戻る事を決めました。
苦しい事も辛い事も、本当にたくさんありましたがネイルサロンの経営ノウハウやスクールの運営、講師、
スタッフのマネージメントなど、たくさんの事を学ばせて頂けたこの経験は私の今を形成する基礎となりました。
フィリピンとの出会い
10年ぶりの日本での生活、アメリカのネイルサロンで働いた経験を生かし
日本では一般的でないようなスタイルのネイルサロンを展開できないかと考え動き始めたものの
ビジネスセンスの無い私は全く形が作れず、どうしたものかと途方に暮れました(笑い)。
とは言え、大した努力もしていませんでした。
日本で再スタートをして1ヶ月程度で、居心地が悪いと感じ始めてしまっていた事もあり
いまいち本腰を入れた活動が出来ずにいました。
ぼんやりと思い浮かべたアイデアを文字に起こし、プレゼンに回ったりもしましたが
自分のアイデアであるにも関わらずピンと来ず、モヤモヤとした日々を送っていました。
そんな中、日本にこだわる必要があるか、という根本的な事を思い出しました。
自分のやりたい事、挑戦したい事を出来る環境に自分が行くのも一つの選択肢だと思い出し
目を世界に向け直しました。
インターネットという素晴らしい文明の利器に頼り、色々な国の色々な求人見知り
お話を伺ったり面接に行ったりしている中で出会ったのがフィリピン、マニラのBGCと言う場所に
日系サロンを運営しているKiyosaでした。
アジアを旅行していた間にもチャンスが無く、行ってみたいと思いながらも縁が無かったフィリピンでしたが
社長にお会いし、お話を伺った時にとてつもない可能性を感じ、興味を抱き
何より好奇心が抑え切れないほどにワクワクしました。面白そう、とただ単純に感じたのです。
ネイリストとしての仕事が一生続けられるものでは無いと思っていた私は
次なるステージも見据えて行かなければならないという思いも抱いていた中
技術者として活躍するだけでなくこの素晴らしい技術と仕事を広めてくれる
「後輩」を育てる事にも力を入れたいと思い、この思いを実現する為のステージをKiyosaに求め
受け入れて頂けたおかげで今があります。
アメリカで指導者(講師)としての経験もしていましたが国も言葉も違うフィリピンでの指導は
思うようにうまく行かず、未だに日々勉強、という状況ではありますが
フィリピン人スタッフのひたむきな努力と、いつも明るい笑顔に支えられ
少しずつではあっても前進していると信じています。
最後までお読みいただきありがとうございます。